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フランス “ルルドの泉” - 聖母が告げた奇跡の水



聖ベルナデッタ と “ルルドの泉”

1858年2月11日、この小さな村の貧しい水車小屋に生まれたベルナデッタ(ベルナデット)・スビルーという13歳になる娘が、妹と友達の3人で川の流れを渡ってマッサビエールの付近に行き、たきぎにする流木を拾い集めている時、
彼女の前に聖母は御出現されました

その話は、友達によって少女たちの間に広まり、
たちまち町中の噂となっていきます。

そして、7月16日の最後の御出現まで、
多くの群衆に見守られたベルナデッタの前に、18回にわたって聖母は御出現されたのでした。

聖母の御姿は、ベルナデッタ以外の人々には見えなかったため、大半の権力者たちは少女の言うことを信じようとせず、

精神病か幻覚か少女特有のヒステリーだと疑い、カトリック教会は、キリスト教を冒とくするとの理由から洞窟を封鎖しようとしました。

ところが、2月25日の9回目の御出現のとき、聖母がお告げになられた場所から湧き出た泉の水が、奇跡的な病の治癒をもたらしはじめ、

その水の奇跡の噂はどんどん広まり、
病に苦しむ人々までもがやって来て、
さらなる奇跡的な治癒がもたらされたことで、口づてに各地に噂は広まり、
ルルドへ集う群衆はどんどん増えて行ったのです。

2010年1月に創元社から出版された「ルルドの奇跡 - 聖母の出現と病気の治癒」は、フランス国立科学研究センターの研究ディレクターであるエリザベート・クラヴリ氏が詳細な調査活動にもとづいて書かれたもので、
第一章-ルルド以前のフランス、第二章-聖母マリアの出現、
第三章-ルルドの発展:巡礼と治癒、第四章-現在のルルドと巡礼者たち、そして資料篇には、過去における奇跡的治癒についての論争や、近年のルルドの奇跡的治癒の公認に関する取り組みなどが記されています。

最初は懐疑的だったカトリック教会も調査に乗り出し、
1858年7月から3年半の調査を経て、
1862年1月、「われわれは、神の母である無原罪のマリアが、
ルルドの町に近いマッサビエールの洞窟で
2月11日から18回、実際にベルナデッタ・スビルーの前に出現したこと、

この出現があらゆる真実性を帯びていること、
信者たちがこれをたしかな事実として信じていることを正当と判断する」
という教書が発表され「聖母の御出現」がカトリック教会により公認されることとなり、ルルドは晴れて“聖地”としての道を歩み始めます。


1864年4月には、リヨンの彫刻家であるジョセフ・ファビッシュがカララの大理石でその御姿をきざんだルルドの聖母像が、マッサビエールの洞窟内の御出現の場所に設置され、1866年には、洞窟を取り囲むように建てられた地下聖堂が完成しました。

1868年から76年にかけて260の治癒の話が、ルルドの司祭団が発行する会報誌によって毎月公表されたことで、
フランス全土から巡礼者ばかりでなく、病人も加わって殺到するようになります。

1871年7月には、信者からの感謝の献金によってマッサビエールの洞窟の真上に、地下聖堂を組み込むように高さ70mの鐘楼を備えたバジリカ大聖堂が完成し、

1872年10月に、パリの修道会の働きかけによって
5万人の巡礼団がルルドの聖地を訪れ、
翌年の1973年から全国統一巡礼が恒例行事となって、
フランスばかりでなくヨーロッパ各地からの個人巡礼者も加わって、
この聖地への巡礼は一層盛んになり、
聖母の御出現から20年後の1878年には、
183の巡礼団と14万人の巡礼者が訪れるまでになっていました。

1889年には、バジリカ大聖堂の前に円形のロザリオ大聖堂が完成し、
巡礼者は年に平均で60万人、1933年の御出現75周年祈念祭には180万人にまでのぼったということです。

この奇跡の治癒をもたらし、今では全世界から年間500万人もの巡礼者が訪れるカトリック最大の聖地と呼ばれるまでになった泉こそ、
一日に12万2400リットルの水が湧き出す“ルルドの泉”なのです。

1996年に出版された竹下節子さんの著書『奇跡の泉ルルドへ』では、史実にもとづき、
聖母出現、聖女出現、聖地出現、奇跡出現など
少女ベルナデッタの前に聖母が御出現されてから、
1879年に35歳の若さで昇天され、
1933年に聖女として列聖されるまでの間に、
彼女の身の上に起こった出来事や、
“ルルドの泉”の出来事が詳しく書かれています。

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“ルルドの泉”が出現した当時のフランス

ルルドの地に聖母が御出現され、
“病を癒やす奇跡の水”の存在をお告げになられた1858年当時のフランスは、
18世紀末(1789年~)に起こった「フランス革命」によって、
国土は荒れ、民衆は貧困に苦しみながらも、
新たな価値観や考え方が、古い価値観や権威者・支配層に取って代わろうとする時代でした。

科学の分野においては、デカルト(17世紀前半)の『物心二元論』にもとづく
「機械論的世界観」と「要素還元主義」の考え方に従い、
実験観察を重視する物理的自然科学の方法が確立されており、

その自然科学の方法をモデルにして発展した医学は、
人体を機械的に捉え、各生理機能をになう臓器ごとに治療法を探求するという解剖学や病理学の基礎が築かれ、今日の西洋医学の原型が形作られていました。

その一方で、教会や修道院などで、祈りや儀式などの
イエス・キリスト由来の「神の救い」を求めるための伝統的な手法によって人々を救済していたカトリック教会は、
革命によってあらたに誕生した様々な現実を、
「近代主義のあやまり」として否定したために、
古い考え方と価値観にもとづく支配層として迫害されます。

そして、新たな社会秩序や科学の進歩とその将来性を、教会の現実と比べたとき、
どちらが魅力的かは誰の眼にも明かで、教会の影響力は確実に弱まっていました。

そんな混沌とした時代の“ルルド”に、聖母は御出現され、
その後、当時の科学や医学では説明のできない、
神の恵みとも言える“神秘的な奇跡を起こす泉”をお告げになられ、
フランス革命以後隆盛した、古い秩序を否定し排除しようとする急進的で極端に偏った考え方や行いに警鐘を鳴らし、
「人々を病から救うのは、科学や医学だけではない!」
ということを示されたのでした。


“ルルドの泉”における奇跡の数々

この“ルルド”が、カトリックの聖地となったのは、
少女ベルナデッタの前に聖母が御出現されたという事実も然ることながら、
聖母のお告げにより湧き出た泉が、
数々の奇跡的な病の治癒をもたらしたからに他なりません。

しかし、エリザベート・クラヴリ氏の著書「ルルドの奇跡 - 聖母の出現と病気の治癒」によると、
もともとルルドのあるピレネー山麓地域は、ピレネー山脈からの氷河水によって、昔から水の豊かな地域で、
病気の治癒に効果があるという泉がいくつかあり、


ルルドの南にはナポレオ夫妻が滞在したこともあるサン・ソヴァール、その西にコトレーなどの湯治場もあって、
近隣の人びとがそこへ通い、その水を飲んだり、身体の病んでいる部分にかけたり、浴びたりして、病気を治そうとすることは普通に行われていたそうです。

ただ、“ルルドの泉”はその発見時の出来事が、あまりにも衝撃的だっために、
その噂はフランス全土に瞬く間に広まり、キリスト教の“聖地”となったのです。


この当時と比べれば、もの凄く科学技術が発達したといわれる現代においても、
医学的に説明できない『奇跡的治癒』と認定される出来事が、
『水の力』によって起こること自体、

「現代西洋医学が、『水が人の健康に及ぼす真の力』を見落としている」
が故に、医学的に説明できず『奇跡』と呼ばれていると思えてなりません。

それとも、「聖母が御出現された」という奇跡があるのだから、
「水には関係なく、『人智の及ばない神秘的な力』が存在するのだ!」
と、あなたは思われますか?

この議論は、“ルルドの泉”が出現した当時から現代まで、あまり変わっていません。
ただし、現在のルルドにおける『奇跡的治癒』の認定基準は、とんでもなく厳しくなっています。

現在、カトリック教会が“奇跡的治癒”と認定するためには、
非常に治りにくい病気にかかっていて、治癒が突然起こり、完全に治り、再発しないことが、重要な基準として定められており、
医師の診療を一切受けておらず、回復期間がなく、後遺症も全く見られない場合でなければ認められません。

しかし、ルルドにおける病者の全快は、“奇跡的治癒”と認定される基準を満たさなくとも、医学的なアプローチでは説明できない病の治癒が数多く起こっていることは事実です。

また、その逆に、大きな期待を抱いてルルドへ赴き、何の改善も見られずに落胆、幻滅して帰る大多数の病人がいることも事実です。


最初の病の治癒の調査は、
ルルドの医師によって行われ、約100の治癒例が記録にまとめられ、
その記録は大学医学部教授による検討の結果、7つの治癒例が認定され、
1862年に「聖母の御出現」の教書とともに発表されました。

その後、1868年から1876年にかけてルルドの司祭団が発行する月刊会報誌によって260の治癒例が公表されます。
1879年には水浴場が建設され、1880年以降、巡礼者と治癒例が急激に増加したため
1884年には、「病気がよくなった、あるいは治った病人たちを、専門医がその健康状態を確認する」ために、
後々「医学検証所」と呼ばれる建物が建てられました。

1890年代からは、医学検証所から司祭などの医療関係者以外の人員は削減され、
徐々により専門的な組織へと移行するとともに、1905年に「医療局」となり、
奇跡的治癒であるかどうかを判断するための基準も時代とともに見直されながら
今日に至っています。

“ルルドの泉”における治癒例の中には、
後述するアラン・カレル博士が体験した結核性腹膜炎の治癒以外に、
全身麻痺の子供が治癒した。首の重度の潰瘍が一夜にして治った。
化膿していた傷口が数時間で治癒したなど、

皮膚病、婦人病、視覚障害、聴覚障害、知能障害などに類する治癒が数多く報告されており、中には、他の“奇跡の水”による治癒に比べ格段に驚異的な、超自然現象としかいいようのない信じがたい治癒例も報告されています。

患者からの申告によりルルドの付属病院にて厳密な診察がなされたのち治療が施され、治癒後の観察期間、追跡調査などにもとづく医師団の審査を経て認定されるとのことで、

1858年の聖母御出現以降、7000以上の治癒例が記録されており、
その中で、カトリック教会によって、約2500例が「説明不可能」とされ、
さらに、そのうちの67例のみが“奇跡的治癒”
と認定されています。

1989年「奇跡的治癒」として65例めに認定されたのは、
切断しなければならないと宣告されていた足の骨の癌の治癒で、
1976年の治癒後、認定されるまでに13年を要しています。

また近年では、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活だった人が、
ルルドに行って歩けるようになった。

1992年には、悪性リンパ腫を患ってから様々な病を併発した女性が、
ルルドの聖母への信仰を持ったとき、時期を同じくして治癒し、
以来、13年間、後遺症もなく、再発もしていない。

さらには、2005年に自発的に届出が出された治癒例が40件あり、
その中に突然起きた治癒であるにもかかわらず、科学的基準を満たせないために奇跡的性質を肯定できないとする、外傷後脊髄損傷、重傷のクローン病、重傷の多発性硬化症、筋疾患、腎臓がん、といった治癒例もありますが、

近年では、手続きの煩雑さから、奇跡的治癒認定の申請をする人は非常に少なくなっているそうです。

ただ、“ルルドの泉”は、キリスト教の聖地であるが故に、
超自然的で神秘的な効果を求めるあまり、非現実的な“奇跡的治癒”にこだわり過ぎて、「その水によって、極普通に病が癒やされる人々が数多くいることの価値」そのものを見落としていると思えてなりません。


超常現象のような奇跡的治癒をもたらす『霊験あらたかな聖水』を飲むがごとく、
あるいは『即効性のある薬』を服用するかのごとく、
僅かな量の水、あるいは短期の飲料で、即時的な効果を望もうとすること自体、
あまりにも非科学的で宗教的な思い込み以外の何物でもありません。

身体に備わった治癒力の働きを考えた時、
日常的に水を飲むように一定期間、充分な量を飲み続けることで、
確かな効果を確認できる
場合もある筈です!

聖母御出現以来、7000件以上もの治癒例があるのなら、
疫学的な統計処理などをして、
どのような飲み方をすれば、
どんな病に顕著な効果があるのかを見極めることができる
筈です。

つまり、治癒的効果の有無を、つぶさに観察、調査、分析すれば、
病の種類ごとに何らかの傾向を見いだすこともできると考えられます。
“聖地”であるという心理的な高揚感による神経系の改善によるものを除けば、
他の“奇跡の水”と同じような症状や病気に効果があるという傾向が出るに違いありません。

もしかすると、160年に及ぶ歴史の中で、
既にそのような傾向はある程度明らかになっているかもしれません。
しかし、そのような現実的で科学的な意味づけは、
どこまでも神秘的でなければならない“ルルドの泉”にとっては「不都合な真実」でしかなく、分かっていても公表すべきものではないのでしょう。

これは、どの視点、どの立場から見るかの問題ですが、
例え、神の恵みのような“奇跡的治癒”と認められなくても、
例え、科学的なエビデンスが明らかになり、その神秘性が失われたとしても、
実は、「水で病が癒やされること自体」が、価値のある凄いことなんです!

『自然が、水に“病を癒やす力”を与えている』ことの証しですから。

ルルドに出現された聖母は、
人々が「“奇跡的治癒”を見極め、認定すること」を臨んでおられたのではなく、
「この水によって癒やされる病とそうでない病を判別し、確かな効果が望める病を見極め、一人でも多くの人が、この水の恩恵に与れること」を望んでおられたのではないでしょうか?


“ルルドの奇跡” と ノーベル賞学者 アラン・カレル博士

1912年にノーベル生理・医学賞を受賞されることになる
アレクシス[アラン]・カレル[Alexis Carrel]博士(1873~1944)は、
1902年、29歳のときルルドへの巡礼団に随行医師として参加され

彼自身「もう助からないであろう。」と診断をくだしていた末期の結核性腹膜炎で瀕死の状態であったマリーという患者が、マッサビエールの洞窟の前で、数時間のうちに治癒していく事実を目の当たりにされたのでした。


その後、カレル博士が残された文書の中から、
自らの体験をラレックという名(Carrelを逆から呼んだもの)の医師の体験談として綴った『ルルドへの旅』と題した物語が発見され刊行されます。

この物語の冒頭では、「ルルドで起っている状況を研究することは、つねに故意に避けられてきた。

だが、どうしてやってみないのだろうか。
たとえそれが、単に気のうえでの回復にすぎなかったとしても、
大した時間の無駄使いでもないだろう。
それに、原因は何であれ、もしかして実際の効果があるならば、それは、たしかに科学的方法で検証された事実として、大きな意味を持ちうるだろう。

と、ルルドにおける治癒に対して半信半疑な気持ちでルルドへ向かわれたことが記されています。

ところが、実際に奇跡的な治癒を目の当たりにされたことで、
「--前略-- 奇跡の事件にまきこまれたのは、確かに非常に具合の悪いことだった。しかし、彼はそれを見に来たのだし、見た以上は実験室での実験の場合同様、
観察結果を変えるわけにはいかなかった。

新しい科学現象だろうか。それとも神秘神学と形而上学の領域に属する事実なのだろうか。これは非常に重要な間題だった。
なぜならこれは、単なる幾何学の定理を認めるかどうかというような間題ではなく、人の生き方そのものをも変えうるような問題だったのだから。」

と、博士自身のその後の生き方や考え方そのものにまで大きな影響を受けられ、1904年渡米された後、「外科手術における血管の縫合と血管と器官の移植」の分野での功績が評価され、1912年“ノーベル生理・医学賞”を受賞されました。
その後、数々の研究実績を残され、1944年11月5日パリにて71年の生涯を閉じられました。

アラン・カレル博士が、ノーベル賞受賞後に行った研究として広く認められてきた
「にわとり胎児の心臓細胞が、永遠に生き続ける」という研究が、
博士の死後、1961年にヘイフリックの研究によって間違いであったことが判明しますが、ノーベル賞学者の研究が間違いであったと認められるには、
多大な時間と手間を要した
そうです。


アラン・カレル博士の『ルルドにおける治癒』についての見解

カレル博士は、ルルドでの治癒を証言しただけで医学界において微妙な立場に立たされ、自分の見解を弁護しなければならなくなったため、
以下のような見解を発表しておられます。

「--前略--毎年、何千人という巡礼や病人がルルドに赴き、そうした旅行の後には、カトリック系の新聞雑誌が『奇跡』と呼ぶ若干の不思議な事実を発表する。

予め調べることなしに事実の現実性を否定することは、
科学者として重い遇ちを犯すことになる
のであるが、
永い間、医者たちはそうした治癒例を真剣に研究することを拒んできた。

 とても真に受げ難く見えても、ルルドには真正の事実があったかもしれないのである。それに、宗教や党派の間題がそこに加わって人びとを煽動することになった。
真に不可欠な真剣な検討は、今まで少しもなされなかった。
皆ただ徒らに、そうした事実がなぜ起るかあれこれ億測していたのである。

--中略--

多くの人は、昔から観察され、科学理論に助けられて、
多少なりとも人為的に分類されて書物の中に記録されているような事実の外に、
自然の力の戯れによって生ずるものは何もないと考えている。

それで、公認された科学の非常に硬化した枠組にどうしても入らないような扱いにくい事実が出てくると、否定するか、
あるいは笑いものにするかのどちらかになってしまうのである。


どの時代にも、科学者の目に異常と思われる事実が出現し、
それは人間精神が喜んで閉じこもっていた図式的定式を破壊するがゆえに危険と見られたのであった。
いわゆる科学的人間はそうした事実を否定し、
それ以外の人びとは形而上的なものとみなす。
事実はその原因がわからないとき、形而上的なものと宣せられるのである。

--中略--

たしかに、本当に証明された科学的事実は決して疑ってはならない。
しかし、若干の明らかな点を除げば、
自然法則というものは非常に厚い闇に覆われているので、
事を現在知られている法則だげに限定してしまうなら、
認識の領域は非常に狭められることになるだろう。


おそらく、まだ他に多くの法則が存在するのであり、
科学の進歩は新事実を求め、異常な現象を分析して、その特性を明確にし、
既知の事実とどこで異なるかを見て、
ついには新法則を見出すところに存在する
のである。

科学はつねに、欺瞞と軽信を警戒しなけれぱならない。
しかし、ある事実が異常に見え、科学がそれを説明できないというだげで、
その事実を排斥してしまうことは控えるのが科学の義務である。


医学の世界では多くの人が、自分が観察したこともない事実を否定している。
それでは判断において過ちを犯していると言わねばならない。 --後略--」


ルルドにおける奇跡的治癒は、なぜ起こる?

ルルドの泉の驚異的な治癒効果の理由付けとして、
「“ルルドの泉”の水には、有機ゲルマニウムが含まれていた。」とか、
「ルルドの泉周辺は、ゼロ磁場であり、それが水を活性化している。」などの説明がなされたりしています。

また、2002年11月のあるテレビ番組では、出演者が“ルルドの泉”の水を持ち帰り、九州大学の白畑教授の研究室で分析したところ、
“ルルドの泉”の水からも、他の奇跡の水同様に、豊富な活性水素が検出された。
また、細胞内の活性酸素が消去することも確認できた。
といった内容の放送がなされたりもしました。

心身医療の研究が進んだ今日においては、
「ここは、聖母が御出現された聖地である」という宗教的に高揚した心理的要因も無視することはできず、心理的な要因と物理的かつ身体的な要因との相乗効果によって数多くの様々な治癒をもたらされていると考えられます。

しかし、これらの要因と治癒に至るまでの明確な因果関係が解明され、
万人が認めるほど、科学的、医学的に完全に理論付けされている訳ではありません。

ただ、160年近くに渡って、水による病の治癒が、現実に数多く起こっていることが事実であり、
他の「病を癒やす水」を科学的に分析することによって解き明かされた特性を、
この“ルルドの泉”の水が持っているのなら、
その水の特性は、治癒をもたらす理由のひとつと言っても過言ではなく、
人工的に再現することも、不可能ではない
筈です。

“ルルドの泉”に、他の「病を癒やし長寿の村をつくる水」との共通点があるとすれば、パトリック・フラナガン博士が長寿の謎を研究した
パキスタン北側のカラコルム山脈の麓にある『フンザの水』同様に、

氷河を有するピレネー山脈の麓にあり、
この氷河が溶けた水が地中に流れ込み、
あの岩でできた「マッサビエールの洞窟」から“ルルドの泉”となって湧き出ていると考えられるのです。

ピレネー山麓には、“ルルドの泉”以外にも、病気の治癒に効果がある泉がいくつもあるという事実は、
世界に点在する長寿の村が、氷河を有する山脈の麓にあるのと同様に、

厚く堆積した氷河が重力によってずれ、氷河の下にある岩盤が削られるとき、氷河と岩盤との界面には、
氷河自身の重みによってミクロなプラズマ状態ができ、
岩盤からつくられる粒子の中に、「マイナス電荷を帯びたコロイド状粒子」が生成され、その粒子が氷河水に溶け込むことで、「病を癒やし長寿の村を作る力」を持った水となって地中から湧き出ている
ことを物語っています。

(余談:近年の地球温暖化によって、世界各地の氷河が消失しています。
ピレネー山脈の氷河もその例外ではなく、
2050年までに消失するという専門家の見解もあり、それ以前に、氷河の堆積量が薄くなれば、プラズマ状態がつくられるほどの重みが得られなくなり、ルルドの泉が持つ『病を癒やす水の力』はなくなるのでしょう。
既に消失しているかもしれません。)


しかし、キリスト教の世界観であった「天動説」が、
コペルニクスやガリレオなどの科学者たちが唱える「地動説」によって覆された
のと同じように

“ルルドの泉”の謎の真相を明らかにすることは、
「聖母のお告げによる神の恵み」という神秘性を否定することを意味するため、
このような科学的な解明は、キリスト教界にとっては「不都合な真実」であり、地動説同様に「余計なお世話」以外の何物でも無いのかもしれません。

それとも、“ルルドの泉”の病を癒やす力は、
科学や医学などの物理現象や生理現象、あるいは心理現象とは全く関係のない、
真に神秘的な力を持った『霊験あらたかな水』なのでしょうか? 

もし、そうだとするなら、
「病を癒やす霊験あらたかな水の力」とは、一体何なのでしょうか?
神様が、本当に存在することの証しを示されたのでしょうか?
では、
なぜ、ルルドを訪れるすべての病者に等しく治癒をもたらされないのでしょうか?

このように神秘的なことと捉えるよりも、もう少し現実的に、
人の身体のおよそ3分の2は水であるが故に、
僅かな水の特性の違いが健康に及ぼす影響は大きく、
水の特性如何で人の健康は大きく左右される
と考えてみませんか?

まだ、水の特性と健康との因果関係については、
科学的エビデンスを示すほどの充分な研究は成されていませんが、
健康をもたらす水の特性は、数多くの事例研究から共通する特性が見出され、
既にある程度明かになっています。

個人差もあるので、どこまで奇跡のような現象を起こせるかはわかりませんが、
お薦め商品を使ってご家庭の水を「還元水素水」に変えて飲み続ければ、
ルルドの泉に近い健康効果は、必ずもたらされます。

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