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長寿の謎を解き明かした天才科学者 − フラナガン博士

1944年の秋、アメリカの南西部、オクラホマ州の州都オクラホマ市に一人の天才が誕生します。
この天才こそ、後に自らの生涯をかけ、長寿の村として世界的にも有名な現パキスタン領“フンザの水”を、30年以上にわたって研究し続け、
遂には長寿をもたらす水の秘密を、科学的・生理学的に解き明かし、その再現に成功したパトリック・フラナガン博士でした。

以下は、1996年にアメリカで出版され、パトリック・フラナガン博士の数々の功績とともにその半生を紹介した『Towards a New Alchemy(新たな秘法に向かって)』の内容と、パトリック・フラナガン博士が設立されたPhiScienses研究所のホームページに書かれている内容とを要約したものです。

パトリック・フラナガン博士 − 天才科学者の少年期

幼少の頃より、天才的な才能と人並みはずれた好奇心の持ち主であったフラナガン博士は、科学的な分野に多大な関心を示し、「どうして動くのか?」を調べるために、家中のあらゆる機械類を分解してしまったそうです。

また、「写真的記憶力」の持ち主であった博士は、読んだ書物の内容をそのまま視覚映像として記憶することができました。
高等学校時代の読書速度は、1分間に14,500語に達していました。
ただ、視覚的映像として記憶するためには、読書速度を下げる必要がありましたが、それでも、1分間に2,000語という速さだったそうです。

この能力によって、百科事典のような多様な応用科学の知識から、主要な概念を再構築して新たな創造物を生み出す才能が開花します。

6歳の頃には、化学分野に興味を示し、父親から与えられた実験道具とテキストによって、僅か2~3年で大学レベルの化学知識と高度な実験技術を修得します。
そして、化学的探求と周期律表の学習を通して、実質的には、宇宙のあらゆるものが基本的な要素から成り立っているという考えに魅了されていきました。

フラナガン博士の経歴は、「天才的電子少年」としてその名が知られることから始まります。

11歳でHAMアナチュア無線通信の免許を取得した彼は、12歳で受信機の電子回路を改造して、ミサイル発射時の噴射や原爆の爆発時に生じる異常な超低周波数エネルギー波を検知できる「誘導ミサイル探知機」を完成し、
以後3年間にわたって、この装置で世界中で行われた主なミサイルの試験発射と原爆テストを自分で記録し続けます。

そして、この記録結果とともに、この「誘導ミサイル探知機」を、ヒューストン科学品評会に出品したところ、
電子部門と全体部門で最優秀賞を獲得します。

この注目すべき天才少年発明家とその最初の発明品は、「ヒューストンポスト紙」をはじめとして、
数々の新聞・雑誌によって報じられ、
瞬く間に、フラナガン少年の名は、この発明とともに広く世間に知れ渡ることになります。

すると、この報道が、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の知るところとなり、
この発明品の詳細な技術検証が行われるとともに、アメリカ政府によって買取られ、
国家の最高機密として扱われることになりました。

後に、“湾岸戦争”で話題となった「パトリオット・ミサイル」の開発には、
このパトリック少年の発明品がその基本にあったともいわれています。


さらに1958年14歳のときには、耳を使わずに皮膚を通して、直接脳に音を伝達する電子神経系刺激装置 「ニューロフォン」の第1号機を発明し、
翌年、ヒューストンアマチュア無線通信クラブでデモンストレーションされます。

それを知った「ヒューストンポスト紙」の記者が、
完全な聴覚障害者の協力のもと、この装置を用いた聴覚実験を行い、その成功を掲載した記事が国際配信されたために
世界的な話題となり、
1962年9月には、雑誌『ライフ』上で、
最も潜在能力のある科学者10人の1人、電子工学の神童としてパトリック少年の特集記事が掲載されました。

この画期的な電子通信装置である「ニューロフォン」の発明は、
多くの人々からの多大な関心を呼び、
1962年、航空操縦士のライセンスを取得した後、
わずか18歳にして、アメリカのコネチカット州スタムフォードにある
国防総省のシンクタンクであったヒュイック研究所(Huyck Research Laboratory)にて、コンサルタントとして働くこととなります。

そして、このヒュイック研究所での、
「流体力学の父」として知られるヘンリー・コアンダ博士との出会いが、後にフラナガン博士が、自らのライフワークとして“フンザの水”と長寿との関係を解き明かすための調査・研究を始めるきっかけとなります。


その後も、NSA、CIA、NASA、タフツ大学、アメリカ海軍研究局、アバディーン性能試験場などとともに、コンサルタントとして働かれ、

19歳の時には、ジェミニ宇宙ロケット打ち上げチームに入り、NASAのジェミニ宇宙船のコンピュータ・システムの開発に参画したり、


23歳の時には、海軍研究局において、人間の言語をイルカのことばに翻訳するコンピュータ「ヒト・イルカ通信プログラム」の設計を手がけられます。


その後、1970年代に入り、物理学者であり発明家であったフラナガン博士は、20歳代後半になられ、自らの応用科学への情熱が、人間性と生命そのものを守りたいという深い愛情と願望によって生み出されていることを悟られます。

そして、アメリカ東海岸から西海岸のロサンゼルスに住居を移し、生命エネルギーをはじめとする様々なエネルギー形態への好奇心から、個人的研究作業としてピラミッドの研究に入られ、
1973年にその研究成果を『ピラミッド・パワー』と題した著書にまとめ出版されるや世界的なベストセラーとなりました。

その後も、フラナガン博士は、社会への貢献と人々の癒やしのために、
新たな科学と新たな試みに挑みながら、科学者として、発明家として、
そして博愛主義者として積極的に活動を続けてこられました。

博士の研究は広範囲に及び、「電子場発生器 (Electron Cascade Generator)」や
「電子空気清浄機(Air Purifier)」(「シャープのプラズマクラスター」や「パナソニックのナノイー」などのような電気的な作用で空気を浄化する原理)などをはじめとして、数多くの発明をされましたが、

博士の発明があまりにも先進的過ぎたために、市場は受容するほど成熟しておらず、
資金を投じてその発明を製品化して市場に出すには時期尚早だったために、
将来必要とされる日が来るまで、カタログとファイルにして保存しておかれ、
その数は、1996年までに300を超えるまでに達しました。


これらの研究と発明を続けながら、それと平行して取り組んでこられたのが、ヒュイック研究所でヘンリー・コアンダ博士から託されたパキスタン領フンザをはじめとする長寿村をつくる水、『青春の泉(Fountain of Youth)』に関する研究でした。

フンザの水を研究し続け、研究を託されて20年後の1983年
遂にその水の再現に成功され、
3年後の1986年には、長年にわたる自らの研究内容を秘めた書籍
「Elixer of the Ageless」(2016年復刻再販)を出版されます。
その驚くべき内容は、数多くの科学者や医学者たちの共感を呼び、フラナガン博士のさらなる調査研究に協力される方も数多くおられました。

そして、コアンダ博士から健康と長寿の水の研究を託されてから30年の時を経て、
遂に、フンザの水に「病を癒やし長寿の村をつくる力」をもたらす『シリカ水素化合物』を、人工的に再現した「マイクロクラスターシリカ」の開発とその量産化を成し遂げられたのでした。

さらに、1998年には、フラナガン博士の研究成果は実用化され、
世界初の画期的な健康食品「Microhydrin」として、
当時、新興健康食品メーカーであった「ロイヤルボディーケア社」(現:RBCライフサイエンス社)から販売されました。


数十年に及ぶ博士の多岐にわたる研究や発見は、医学界や科学界に広く公開され、
厳格で詳細な調査が行われてきました。受けた学位、表彰も多数に及びます。
そして、21世紀に入った今日において、ようやく、科学界は博士の驚異的な貢献を正当なものとみなし受け入れつつあるので、この努力の種は、指数的な割合で開花しようとしています。

オックスフォードからスタンフォードまでの大学教師や研究者は、フラナガン博士の革新的な発見を学び、未来の科学者にそれらを教え始めています。

生化学、物理学、ナノテクノロジー、医学など、数多くの分野での発明品によって、人々の寿命を延ばし、生活の質を改善するというフラナガン博士の使命は実現されつつあります。

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